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パワハラで自殺するまでの事例(その1)

2019/01/23
パワハラ事例集 0

すいませんが、このネタばかりは全引用させていただきます。私はこの事例を読んで、人間が時として悪魔になることを再認識しました。
命を絶つ前年に結婚したばかりだったが…「一体どんな仕事ならできるんや」「すみませんじゃねーよ」「はっきり言って君の性格ではこの仕事はできない」。あなたの職場ではこんなひどい言葉が飛びかっていないだろうか。岐阜県庁で働いていた遠山賢治さん(仮名)は、上司からの叱責を苦にして自ら命を絶った。30代、働き盛りの県庁マンの死は、パワハラのおそろしさをわたしたちにつきつけている。

重たい取材になりそうだ……。2017年11月のある日、東海道新幹線で早朝の東京駅を発ったわたしは、自分で申しこんだ取材にもかかわらず、少し憂うつな気分になっていた。事前に集めた資料に目を通すうち、どうしても気持ちが沈んでしまうのだった。

──遠山賢治さん。30代。生まれも育ちも岐阜県。大学卒業後いったんは民間企業に入ったが、「まちづくりがしたい」という子どもの頃からの夢があきらめきれず、2年弱で退職。2000年代半ばに岐阜県庁に再就職していた。その後は県職員として順調にキャリアを重ねた。だが、2012年春の異動で、ある大型施設の整備にたずさわったのをきっかけに、上司からのパワハラに悩むようになった。異動から1年もたたない2013年1月、自宅で命を絶つ。公務員の労災にあたる「公務災害」として認められたのは翌2014年9月。遺族が県を訴えた裁判は、県が責任を認め、遺族に9600万円を支払うという内容で和解がまとまった。自死から3年後、2016年1月のことだ。

とりわけわたしの心を重くしたのは、亡くなった時、妻の愛さん(仮名)がお腹に赤ちゃんを宿していたことだった。ふたりは賢治さんが命を絶つ前年に結婚したばかりだった。心待ちにしていた赤ちゃんの顔を見ることもなく、この世を去らねばならなかった賢治さんの心境を思うと、わたしは平静な気持ちではいられなかった。
愛さんへはメールで取材を申しこんでいた。会うことを承諾してくれたものの、その返信メールには〈わたしは未だに現実を受け入れられません。このままじっと耐えて静かに過ごしたいというのが本音です〉との言葉があった。〈主人が亡くなって来年1月で5年になります。周りに支えられながら、一人で必死に育てています〉とも書いてあった。読み返すたび、取材が遺族の傷口に塩を塗る行為になるかもしれないと思い、心底ため息が出た。

とは言っても、取材しないという選択肢はなかった。パワハラの実態を報じなければ、同じ過ちがくり返されてしまうだろう。愛さんも報道の意義を感じるからこそ、〈静かに過ごしたいのが本音〉でも、取材に応じてくれたのだと思う。悲しみのどん底にいる遺族に無理を言って協力してもらっている。そのことの重みをかみしめて、真摯に話を聞かせてもらうしかない。そう自分に言い聞かせて、わたしは取材場所として指定された岐阜県庁に向かった。

「仕事行きたくない おこられる」

「毎日おこられる」身重の妻を残し、働き盛りの県庁マンが自死

「とってもまじめで、誰に対してもやさしい人でした。彼のことを悪く言う人は恐らく一人もいなかったのではないでしょうか」
岐阜県庁舎の2階にある労働組合の会議室で、愛さんはわたしに語ってくれた。賢治さんは身長約170センチ、体重70キロ台後半。性格も外見もとても柔和な人だったという。愛さんはつづけた。
「彼がわたしに声を荒らげたことは一度しかありません。そのときも3秒後には『ごめんね』と謝ってきましたね」
愛さんはキリッとした表情の人だ。穏やかな賢治さんとの関係性が目に浮かぶようだった。 取材のあいだ、愛さんの顔に笑みが浮かぶことはなかった。それでも、彼女の隣に座る中年の男性が柔らかな表情であいづちを打ってくれたおかげで、長机にパイプいすがあるだけの殺風景な労組会議室にも、アットホームな雰囲気が流れていた。

この男性というのは、岐阜県職員組合の委員長を務める内記淳司さんである。賢治さんが亡くなって以来、ずっと愛さんたち遺族を助けてきた人だ。内記さんは事件の数年前に賢治さんと同じ部署にいたことがあり、その実直な人柄に好感をもっていた。

悲報を聞いてすぐ、愛さんに電話をかけた。当時愛さんは県庁内の誰のことも信じられなくなっていたが、内記さんは何度も電話をかけて信頼関係を築き、以来ずっと裁判の準備などを手伝ってきた。この日も愛さんが一人で取材に応対するのはつらかろうと考え、同席してくれたのだった。
これから書く取材結果のほとんどは、内記さんがかわりに話してくれたことだ。
賢治さんが心身を病むきっかけが12年春の異動にあったことは前に書いた。特にその年の夏ごろから憔悴があまりに激しかったため、心配した愛さんは帰宅後に賢治さんが話したことを手帳に書きとめるようにしていたという。

〈毎日おこられる 何をどうしたらよいのか分からない 3:00〉

〈分からない やることがおそい ついていけない おこられる 2:00?〉

〈何もかも自信がない〉

〈何を出してもだめ やることがおそい 何もできない〉

〈「何もしていないのに給料もらっている」ってまた言われた〉

〈仕事行きたくない おこられる 0:30〉

内記さんから手帳のコピーを見せてもらったとき、わたしは胸がつまる思いがした。日ごとの小さなマス目の中に、その日の言葉がワンフレーズだけ書きとめられていた。時折「3:00」「0:30」などと記載があるのは、帰宅時刻だそうだ。手帳のわずかな記載をみつめていると、夫婦の情景がありありと浮かび上がってくるようだ。
夜遅く帰った賢治さんがスーツから着替えながら、あるいは遅い食事をとりながら、ボソボソとつぶやく。聞く側の愛さんだって、初めての妊娠で余裕はなかっただろう。たくさん聞いた話のなかで、特に気になった言葉を一つだけ手帳に書きとめ、お腹の子のこと、夫のことを案じながら眠りにつく──。
「一体どんな仕事ならできるんや」
こうして夫婦で悩みをわかち合っていたため、自死の原因が職場にあることははっきりしていた。愛さんは家族と話し合い、すぐ県庁に実態調査を求めた。これを受けて、県の総務部は上司や同僚への聞き取りを開始。四十九日も待たずに行われたこの調査が、真相究明にとても役立つこととなった。

 賢治さんがいた職場は、40代後半のA室長、40代前半のB係長、そして賢治さんを含めた主任二人、という男性のみ4人で構成されていた。もう一人の主任は賢治さんと年齢が近いC氏だった。部署名や仕事の内容をあいまいに書いているのは、個人を特定されたくないという遺族の希望なので理解してほしい。
県の総務部は、このメンバーたちを中心に聞き取り調査を行った。その結果、愛さんの手帳のメモを裏付けるような証言がでてきた。話してくれたのは、同じ主任のC氏だった。県の総務部がつくった報告書からC氏の証言を引用する。
〈連日、厳しい言葉での叱責があった。頻度は怒らない日が週に一度あるかないか。一日に二回、三回ということもあった。全て遠山主任に対するもので、自分にはなかった。
12月の初旬ぐらいをピークに段々と厳しさが増していった印象。4月頃はやさしく教えてくれたが、夏頃から厳しくなったと遠山主任から聞いた。自分がこれまでの職場で聞いたことがないような厳しい言葉だった(中略)横で聞いていて私の方が食欲がなくなり、異動後1カ月で5キロ体重が減った。あの指示をあの勢いで言われたら自分でも耐えられない〉
賢治さんを厳しく叱責していたのは係長のB氏だった。報告書によると、C氏は賢治さんが言われた具体的な文言をいくつか例示した。「はっきり言って君の性格ではこの仕事はできないと思うが、できなければ俺がやるしかない。できなければ、それによって係にどれだけ迷惑がかかるか考えろ」
「一体どんな仕事ならできるんや」「人事課に行ってパワハラで脅されましたって言ってこい。俺は全然平気だ」「お前はそうやって何もやらずに異動していくつもりか。そんなんで給料もらえると思うなよ」「俺が正月返上でやらなければいけないのか。できないのならできないと今この場で言え。俺が毎日休日出勤するのか」
報告書に目を通したわたしは『ここまでよく話してくれたなあ』とC氏に感謝したい気持ちだった。洗いざらい話せば県庁内に大きな波紋を広げることが予想されただろう。話したC氏が不利益を被る可能性もゼロではない。そうした状況でパワハラを告発するのは勇気が必要だったに違いない。パワハラ係長は「仕事ができる」と評判の職員だった…
さらにこの報告書が興味深いのは、当のB氏への調査結果だった。B氏はC主任が列挙した言葉の一つ一つには異論もあったようだが、賢治さんを叱責したことは大筋で認めていた。B氏は調査にこう答えていた。
〈(叱責は)週に数回はあったと思う。遠山主任が日々提示する書類等や業務の処理状況への指摘が累積した結果である。
個々の業務に対する指示については、書類の誤字や計算ミス、単なる不注意、疲労による能率低下などでは説明できないような問題事例や、業務自体を処理できないという事案が重なった結果であり、それを自分やC主任が代わって処理すれば、本人は全く室の業務に関与し得なくなってしまう状況であった。なお、業務の指示の必要性を超えて長時間にわたり叱責していたという事実はない〉
要するに、自分がしたことを正当化しているのだ。これでは賢治さんがあまりにもかわいそうだ。B氏に対して強い嫌悪感をおぼえた。冷静に当時の状況を分析してくれたのは、内記さんだ。「特異な状況のもとで深刻なパワハラが起こってしまいました」内記さんによると、この部署が託されていたある大型施設の整備は、古田肇県知事の肝入りのプロジェクトで、2011年度から専属チームが作られていた。予算の関係で、2013年度じゅうに工事に着手することが求められていて、大急ぎで整備計画を立てる必要があった。
だが、岐阜県は2012年に国体を開催することが決まっており、そちらにも職員を割かねばならない。ということで、くだんの施設のプロジェクトは少数精鋭で臨むことになったのだという。
「A室長もB係長も県庁内で『仕事ができる』と評判の職員でした。特にB係長は誰もがエースと認める存在でした。県の政策を立案する中枢部門で長く働き、間違いなく今後偉くなる人間だと、周囲から太鼓判をおされていました」
そうした特別なチームに、賢治さんは2012年4月、プロジェクトの途中から加わることになった。賢治さんも仕事ぶりの評判はよかったが、上司二人に比べると経験不足は否めなかった。
「遠山君はこれまでの職場で高く評価されていました。人間関係を大切にし、ゆっくりだが着実に仕事をこなす人という評判でした。ですが、なによりもスピード感を求められる新しい職場では、その長所が発揮できなかったのかもしれません……」。労組の代表として、仲間を守れなかった責任を強く感じているのだろう。内記さんはわたしにそう話すと、眉間にしわを寄せた。「B係長のしたことは決して許されません。しかし、彼は期限の迫ったプロジェクトに欠かせない存在だっただけに、A室長もその言動を止められなかったのだと思います」

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渡辺 宏
Admin: 渡辺 宏
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