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喪失感や心の強弱が発症の決め手ではないことを知って欲しい

2019/11/16
自らへのテーゼ 0

喪失感とはなんでしょうか。人が生きていく上で大切なものを失ったときに感じる心の変化。変化は千差万別。例えば目標や夢を失った時、大切な人がいなくなった時。大きな悲しみを伴うことは共通しているかもしれませんね。
どれだけ時が流れても癒えることがないあの感覚。しかし、ときには喪失感が人間を成長させてくれることもありますし、もしかしたら免疫力や対処方を備えることができるのかもしれません。
かかる喪失感から、悲しみと、ぽっかりと心に穴が空いた状態をいかに乗り越えるか。その挫折から立ち上がり、それを抱えてなお、前に進む心をもてたとき。無限ともいえる喪失感からの再生をする。そういうときの人間は、もっとも強く輝いていて尊く、それなのに何故か人間くさい。
そのように、乗り越えて前を向ける人もいれば、そのまま喪失感に心を蝕まれ続け人格が荒廃してしまったり、そうでなくても、精神の健全性を失う人もたくさんいます。
前者か後者になるのは、「運」ではないだろうか。と私は思っています。だってそういう時に発揮できる心の強弱なんてものの個人差は、あたかもどんぐりの背比べ程度の違いでしょう。また前を向けるかなんてその時の環境にかなり左右されるでしょう。
喪失感を上回る光があれば立て直すことも少しは楽ですし、逆に、喪失感をもったまま、また違う不幸に出会ってしまえば、しばらく立てないのが普通でしょう。
それくらいダメージを受けて自らの礎となる大切なものを失うからこそ喪失感といえるのですから。そして、喪失感はいつ我々を襲うのか人間は知る術をもちません。
しかし、我々は全くの無力でもありませんね。先人たちが、似たような経験をどう乗り越えたか教えてくれることもありますし、腐りきった社会の中の希薄な人間関係の中でも一度結ばれた絆が壊れていないことが一助になることだってあります。
結局、我々がこの世界を生きる意味を、神様や世界が教えてくれるのではなくて、我々がどう見つけて、どのように定義するのかを、逆に、神様や世界が期待して見つめている。
もし、そうなのだとしたら我々が生きる意味は、模索しながら考えて、好きなように自分で決めてやればいいじゃないですか。今日も明日も自分次第。偶然や運命もあるし、その他のはかりしれない未知の何かをも期待しましょう。
今日11月の16日、私の親友は7回忌を迎えました。
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内山田 宏
Author: 内山田 宏
認定心理士

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