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親友の死について(七回忌を終えて)

2019/11/17
自らへのテーゼ 0



  昨日、こちらで親友の七回忌があったことを述べました。今朝起きて、親友が亡くなった年のことを思い出したので、書かせてください。

  平成26年の暮れに友人が突然亡くなりました。病名は急性骨髄性白血病。彼のお母さんに会ったとき、背中が痛いと訴えていたので病院にいったところ、この病気が分かり、発病後僅か3か月で、その命の炎を消し去ってしまいました。

  私が彼に最後に会ったのが亡くなる前年の暑い夏の夜でした。有楽町の焼き鳥屋で焼き鳥を片手に二人で酒を飲んだのが最後かな。それ以降はたまにメールをする程度でお互い平凡な日常を過ごしていると思っていました。

  彼は、病気になったことを私には告げてくれませんでした。理由は不明です。ただ、会っても私には何もできないし、おそらく、ただ心配だけをかけると思ったのだと配慮してくれたんだなと思います。そういう自分のことよりも相手を常に思い遣る人でしたから、それを見抜いてのことだったと思います。死に際にあって人は本性を露出するといいますね。彼の友達思いはそんな死期にまでも貫いていたのかと思うと畏敬の念をもたざるをえません。ただ、知らせてくれなかったことは単純に残念でした。

  彼と私は小学校の時の同級生であり、その頃からの親友でした。放課後には日が暮れるまで毎日自転車で駆けずり回って遊んだり、子供の頃は私が一人で上級生達を相手に勝てないケンカをしていれば、理屈抜きで味方になって一緒にケンカしてくれたりしました。中学校以降は別々の学校になりましたが、それでもたまに会うと遊んでいました。高校を卒業して、それぞれ別の進路を進んだが、彼は常に私の傍らにいてくれるように味方であり、友人で在り続けていてくれました。

  私が二十歳の時に初めて彼女ができたことを報告した時など「よかったな!」と自分の事のように喜び、朝まで一緒に酒を飲んでくれたりしました。 彼は昔から女の子にも、とてももてたので、たくさんアドバイスをしてくれたりもしました。

  彼は決して怒ったりすることなどなく、人に当たることなどなく、友達想い、家族想いであり、周囲の人達をとても大切にする人でした。その人間性は私など足元にも及ばない人でした。葬儀の時のご親族や会社のご同僚の方々の嗚咽がそれを物語っていました。

  悲しみに優劣はありません。しかし、親友を失うことがこれ程までに悲しい事だとは思いもしませんでした。今思えば、あれもしてもらった、これもしてもらった~など、悔やまれることばかりです。その中でも最も後悔している事は、彼は私にとっての人生のたいまつであり、彼が友達でいてくれている事がどれほど私には心強く大切な存在であったことを伝えていない事です。三十数年も友達でいてくれたのにです。

  ですから、皆さんにも、大切な人にはその想いを短かくても手紙でもメールでもいい。しっかりと伝えてほしいと思います。自らの想いを伝える事はとても勇気のいることだし、素直な気持ちを伝えることはとても難しいことです。しかし、自分が人に言われたときのことを考えてみればとても嬉しいことでしょう。

  私たちは皆、人の助けなしには生きていけない。だから、この思いが私達の原点になるのですから。

  今日も変わらず日が昇り、夜が明ける。世界は静かに形をつくっていき、それが鮮やかな光を帯びて輝いていく。この世界は美しいと感じる時があります。

  そして、人は光の中に生き、夜の闇に死んでいく。光の世界にあってはその明るさを何も感じたりはしない。夜の闇にあっては光の明るさを忘れてしまう。

  私たちが光の輝く世界の中で生きているときに、光がいかに大切なものだったのかということに気付くことができたなら、我々は悔やむことの宿命から解放されるのではないかと思います。

  秋の終わりの夕方に思い出す彼との少年時代の想い出は、今では涙の種のようです。
  人の一生では本当に明日のことは分かりません。今日という一日は、死の淵に彼が何としてでも生きたかった一日かと思えば言葉にならない重みを感じます。我々は日々を精一杯生きられているのでしょうか。

読んでいただき感謝します。

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